社会観察雑記帳 -市民感覚の何かおかしい75-  通算投稿117回目  安全保障三文書に関する一国民からの質問

       安全保障三文書に関する一国民からの質問

                                 2023年2月4日
 2022年12月に岸田政権が閣議決定した改定版安保三文書を通読してみた。
「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」のうち、前の二文書のなかで一国民としていくつかの疑問点、質問があるので、それを記述してみたい。

 

「国家安全保障戦略

その1
P3 冒頭の「パワーバランスの歴史的変化と地政学的競争の激化に伴い、今、重大な挑戦に晒されている」の表現が、抽象的で具体的に何を言っているのかわからない。(後に出てくるロシア、中国のことを指しているのなら、例示的表現があって良い)

 

その2
P4 中段「我が国は(中略)まず、力強い外交を展開する。そして、(中略)防衛力を持つことは、そのような外交の地歩を固めるものとなる。」としているが、論理的な思い込み(後段の防衛力強化につなげるための一方的論理?)ではないか。
 力強い外交には、経済力、構想力、人脈、行動力など防衛力より重要なファクターが多数あるのではないか?

 

その3
P5 「(前略)国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。(中略)本戦略の内容について国民の理解と協力を得て、国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」


 記述の通りではあるが、現政権、そして安倍政権からの自公政権の所業を顧みると、政府が信用・信頼できているとは到底思えない。公文書改ざん、お友達優遇、統一教会癒着、政治と金など、政治不信の要素には事欠かないし、国会でこの防衛増強問題に関し、聞かれたことにしか答えない、その答えも保秘を縦に具体的ではなかったり、個別のことは先送りしたり、どこが国民の理解を得る努力をしているのか。
 そもそも、信なき政権の提案は、国民は信用しないし、説得力、納得感がない。信頼される政権となることの方が先ではないか?

 

その4
P5 Ⅲ我が国の安全保障に関する基本的な原則の1.「積極的平和主義」の定義は何か?
 これは、単純な質問。

 

その5
P18 反撃能力について
「国家防衛戦略」のP10にも一字一句同じ文章で記述されている。
  「この反撃能力とは、我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力の行使の山陽圏に基づき、そのような攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とするスタンド・オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力をいう。」
 (中略)
  「(略)2015年の平和安全法制に際して示された武力の行使の三要件の下で行われる自衛の措置にもそのまま当てはまるものであり、今般保有することとする能力は、この考え方の下で上記三要件を満たす場合に行使しうるものである。」

 「我が国に対する武力攻撃」との表現だが、日本に対する武力攻撃に限定されると理解して良いのか?それとも2015年安倍政権が改定した「若国と密接な関係がある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる場合」も反撃能力発動の要件に含まれるのか。文書では、我が国への攻撃限定のように解釈できるが、後者も含むのであれば国民を欺く表現ではないか。明記すべきである。
 報道等で承知しているのは、相手国が攻撃に着手したと認めれば反撃能力行使できるとの解釈だが、文書では「我が国に対する武力攻撃は発生し」とあり、あくまで相手国がミサイル等を我が国に向け発射された事実を確認したあとに行使できるとしか読めない。それでよいか?そもそも攻撃着手時点を多方面からの情報等で事前判断すること自体が非現実的で、これを仮に政府判断ということで容認すると、相手国や国際社会から専守防衛逸脱との主張に反論できないのではないか。

 

 精査すればまだまだあると思うが、重要論点と思う以上の5点を記載する。

 もし、既に政府見解を明らかにしている項目があるのであれば、それは普通の国民には届いていない見解であり、「国家安全保障戦略」で記述している国民の決意、理解と協力をないがしろにしている証左である。

 また、2015年改定した武器の使用の三要件も含むような見解であれば、そのことを正々堂々と記述し(官僚文章のようなわかる人間にしか解釈できない表現は国民を欺く行為と思うべし)、議論の俎上にあげるべきであろう。