時事課題への普通の市民感覚の発表 ③ 投稿通し9回目

       金融庁WG報告書のどたばた劇を考える


                               2019年6月13日

 

 6月4日来、金融審議会WGの報告書に関し政治、メディアの世界がドタバタしている。


 この報告書の狙いは、「一般家庭にある膨大な預貯金をニーサなどの投資市場に回させる」ことと思われ、答申側とすれば、それをどう論理的に理路整然と導くかということに腐心した報告書としたつもりであったろう。


 しかし、家計調査の平均データを使用したため、65歳無職年金生活者夫妻の平均値で毎月5万円強赤字の実態から人生100年時代を見据え、年金だけでは向こう30年間で約2000万円不足するというデータが、恰好の論点になってしまった。


 メディアや野党曰く、「年金は100年安心プランと2004年に自民党政権が喧伝したこととの整合性がない」「現実のデータを明らかにし、課題も指摘するならば、政府としてどう対策・対応するかがセットで報告しかるべきなのに、国民の自助で、しかも投資で何とか財源確保しろとしか読めない」「預貯金がない層への対策、現役世代は2000万では足りない現実など、政府としての対応方向感を出すべき」


 年金問題では、5年毎の財政再計算・検証結果の公表が遅れていることが、参議院選挙前のデータ隠しとの野党追及もある。実際、与党はその考えで公表を遅らせているのだろう。


 この問題、6月10日の参議院決算委員会で安倍首相は、「100年安心は嘘」とされたことに、「嘘ではない。マクロ経済スライドを導入し、100年年金制度が持つようした。民主党政権ではできなかった給付金のアップを直近0.6%上げた」とむきになって答弁していた(過去の給付金切り下げを言わずに棚に上げて)。さらにあきれた対応は、6月11日になって、麻生大臣が、本報告書は政府の政策方向と違う内容であること、国民に誤解を招く表現があったことなどから、金融審議会での了承を得る前の案段階のため、答申として受け取らないと発表し、加えて、森山自民党国対委員長が、本報告書は存在しないことになったので、予算委員会で議論する材料自体がなくなり、したがって予算委員会を開くことに応じられないと発表したことだ。


 不都合なことを、今度はすべてなかったことにするという暴挙は、民主国家ではもはやなくなったというに等しい。森友では公文書を改ざんし、今回は公文書をなかったことにする、こんな対応は許してはいけない。ますます自民党政権への不信感が増幅することが当事者たちはわかっているのか、いないのか。国民がバカにされている。

 

 マクロ的にみれば年金は、将来、支給額が減少し、年金だけでは生活レベル維持は難しいということは、周知の事実であるし、今回のWG報告内容で初めて分かったことではない。また、年金の将来財政基盤が脆弱で、何らかの手を打たなければならないことも分かっていた課題である。


 そういう意味では、今回の金融庁WGの報告書の狙い、結論は認められない(議論の論点としての価値はあっても)が、現状改めて、現役世代、リタイヤ前後世代、高齢世帯の世代別の年金問題も含めた生活コストの現状分析、生活水準維持への課題提起は、これを一つの契機として全国民的議論を政治的思惑抜きですすめることが必要であるし、重要と思う。
 

 そのいいだしっぺは、やはり1強の現政権が担うのが筋であり、選挙で議席を落とすからごまかす、先送りする、なかったことにするなど、もってのほかである。
年金問題に矮小化せず、国家財政システム、高齢者社会への対応システム、福祉・健康保険・年金などの社会保障システム、税制システムなど関連するあらゆる項目を有機的に再検証し、再構築する方向を打ち出す努力をしてほしい。その前提として、日本がどのような国家をめざすのかが基本条件とはなるが…

*経済成長至上主義で行くかゼロ成長でも安定社会主義で行くか、対アメリカ・中国・韓国などの国際関係でのポジションをどこにとるか、移民政策をとるのか、などなど